
D1 :プロの現場を、デジタルの時代へ
No.8|1999|「先駆」をみる
写真業界の常識を覆した
デジタル一眼レフカメラ「D1」が発売されたのは、1999年のこと。
それまで個人向け市場で広がりを見せていたデジタルカメラを
一気にプロフェッショナルの現場へと浸透させ、
写真産業に大きな影響を与えることとなりました。
コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 /編集:矢代 真也)
当時、写真産業は大きな転換点を迎えていた。フィルムメーカー、現像所、印刷会社──。長年かけて築き上げられた写真の産業構造が、希望小売価格(税別)65万円という価格で登場したデジタル一眼レフカメラ「D1」によって、大きく変わり始めることになる。
それまでもデジタルカメラは、主に個人向けの領域で静かに広がりを見せていた。しかしD1は違った。「きれい」「はやい」「つかいやすい」という明確なコンセプトのもと、プロフェッショナルの現場に新しい可能性を提示していく。その起点となったD1の開発に迫る。
産業構造を揺るがした価格設定
D1の価格は、当時のフラッグシップ機、フィルム一眼レフカメラF5(希望小売価格(税別)32万5千円)の2倍であった。これはフィルムカメラユーザーにとって「高いが手の届く価格」であり、多くのプロカメラマンのデジタル移行を後押しすることとなる。当時、プロ向けデジタルカメラの価格は数百万円だったことを考えれば、65万円がいかに衝撃的な価格設定だったのかが分かるだろう。
この裏には、イメージセンサーという重要な部品の画期的な開発戦略があった。半導体メーカーとの緊密な協業により実現した新しい価格基準は、カメラ産業の枠を超えて、イメージセンサー業界にまで影響を及ぼしていく。
その結果、写真産業全体が大きく動いていった。それまでプロカメラマンは、毎月数十万円を感材費にかけていた。しかしD1なら、感材費がかからない上に、何枚でも撮影でき、その場で確認も可能。撮影練習も思う存分できる。このようなデジタルならではの利点が、フィルムの課題を浮き彫りにしていく。

プロの現場が変わる
最も変化したのは、報道写真の現場だった。フィルム現像や電送の時間制約から解放され、撮影から編集部への送信までの時間が大幅に短縮された。新聞の締め切りぎりぎりまで撮影できる。そして何より、その場で画像を確認できるようになったことで、現場での作業効率は飛躍的に向上していった。
この劇的な変化を支えていたのが、D1独自の高速処理技術だ。当時はまだ十分なバッファメモリを搭載できる時代ではなかったものの、大型のイメージセンサーを瞬時に駆動しつつ、写真現像の仕組みを効率的に組み込むことで、撮影からデータの保存までのタイムラグを極力抑えている。「撮って、すぐ確認できる」ワークフローは、報道の最前線に大きな影響を与えた。
やがて撮影スタイルそのものにも、大きな変革の波が押し寄せる。長年、写真家たちは現像すべきフィルムを選び、現像所に委ねることで写真を完成させてきた。しかしD1は、RAW撮影という新しい選択肢を提示する。全てを写真家自身の手でコントロールできる可能性が開かれたのだ。それは表現の自由度を広げる一方で、新たな技術習得を迫ることになった。フィルムの選択や撮影から画像編集まで。写真家たちもまた、大きな転換点に立たされることとなる。


写真の"質"を追求する、新たな挑戦
フィルムからデジタルへの移行は、画作りにおける新たな課題も浮き彫りにした。ビデオカメラの技術をベースとしたD1は、表示系やベンチマーク対象において、従来のカメラとは異なる特性を持っていた。とくに画質設計では、多くの困難との闘いが続く。動画を前提としたビデオカメラでは許容されるノイズも、1枚の写真として見た時には弱点となった。
しかし、そんな困難の中からも、デジタルならではの可能性が見えてくる。フィルムカメラでは避けられなかった機械式シャッターのスリット効果による歪み。当時は1/8000秒のシャッタースピードでさえ、その課題を抱えていた。D1は電子シャッターの採用により1/16000秒という超高速シャッターを実現。全画面で同時に露光制御が可能となり、高速撮影時の画質が飛躍的に向上した。


伝える。より速く、より確実に。
2000年のシドニーオリンピック。D1が報道現場で広く使われるようになる契機となったこの大会は、写真産業における新しい時代の幕開けを告げることになる。「化学反応による光の定着」から「物理現象のデータ化」へ。それは技術の進化とともに、写真というメディアの形を大きく変えていった。
写真産業は、カメラだけでなく、画像処理、出力、配信といったあらゆる領域で変革の時を迎える。出版印刷業界はデジタル入稿への対応に追われ、企業の広報部門では撮影の内製化が進んでいく。
D1を契機とした一連の動きは、その後のデジタルカメラ発展の礎となっていく。長年かけて築かれた産業構造を解体し再構築する過程で、D1は報道や記録の現場に大きな変化をもたらした。世界のできごとをより速く、より確実に伝えることを可能にしたその成果は、現代のビジュアルコミュニケーションの基盤として、今もなお深く根づいているのだ。

コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)