COOLPIX 900:デジタルで「撮る」を
立ち上げるために

No.07|1998|「転換点」をみる

ニコンのコンパクトデジタルカメラにおいて、
初めて「NIKKORレンズ」を採用した「COOLPIX 900」。
「デジタル記録装置」ではなく「カメラ」として、
新しい世界への一歩を切り拓いた同機に込められた
「クオリティ」に対する思いとは?

コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)

デジタルカメラ黎明期、ニコンが世に送り出したCOOLPIX 900。レンズ部が自在に回転する特徴的な「スイバル機構」を備え、従来のカメラでは想像もつかなかった自由なアングルを可能にする、新しい時代のカメラの姿を示した製品だった。フィルムカメラの伝統から離れ、全く新しい発想で開発されたCOOLPIX 900の誕生背景から、デジタルカメラという未知の領域を切り拓いていった様子をひも解いていく。

デジタルカメラは「ビデオカメラの派生」という発想から

1990年代後半、パーソナルコンピュータの普及とともに、誰もが気軽にデジタル画像を扱える時代が到来しつつあった。その中でニコンは、ビジネス向けの記録装置としてCOOLPIX 100やCOOLPIX 300といった製品を送り出していた。COOLPIX 900は、これらとは一線を画す、本格的なデジタルカメラとしての使命を帯びて開発された。

開発に当たって重要だったのは、「デジタルカメラはフィルムカメラの延長線上にはない」という認識だった。フィルムは厚み約30ミクロンを持つ多構造で、入ってくる光によって焦点位置が変わる。一方、デジタルカメラの撮像素子は数ミクロンの平面で、どの色の光も同じ経路をたどる。そのため、レンズへの要求やオートフォーカスへの要求も全く異なってくる。こうした点から、むしろデジタルカメラは、ビデオカメラから派生した技術として捉えるべきだと考えられた。

この発想の転換により、フィルムカメラの常識にとらわれない自由な設計が可能になった。最も象徴的なのが、レンズ部が回転する「スイバル機構」の採用である。実はこの構造は1983年にニコン試作のビデオカメラにおいて、すでに検討されていたという。ハイアングル撮影では脚立を使う必要がなく、ローアングル撮影では地面に寝転がる必要もない。自分撮りも容易になった。さらに三脚使用時は、カメラ本体を動かすことなく縦位置の調整が可能になったのだった。

垣根を越え生まれた製品

革新的な製品は、革新的な組織から生まれる——。1996年7月に始動した社長直轄の「TOP01プロジェクト」には、そんな思いが込められていた。カメラ事業部や電子画像事業部などから精鋭を集めた10名余りの小規模なチームが、COOLPIX 900のスピーディかつ野心的な開発を実現した。

プロジェクトでは、フィルムカメラの光学技術とデジタル技術の融合を目指した。その中でもとくに重要だったのがレンズ設計だ。撮像素子表面にはマイクロレンズが一つひとつ配置されており、どの角度から光が入射するかで大きく感度が変わる。そのため、従来のフィルムカメラ用レンズとは全く異なる設計が求められた。レンズ設計者とデジタル技術者の間で繰り返される議論と試行錯誤の過程で、新しい設計が確立されていった。

また、限られたスペースで高い光学性能を実現するため画期的な設計を採用。通常のカメラでは横向きに配置されるレンズを、「スイバル機構」を活用して縦向きに配置した。結果、十分な長さのレンズ構成が可能となり、設計に無理がなく作りやすい、高精度なレンズの搭載を実現した。

画作りへのこだわり

写真とは何か。その根源的な問いに向き合いながら、フィルムとは異なるデジタルならではの表現を追求した。開発時には、社内のスタジオで基準となる照明や被写体を用いて、入念な検討を重ねた。単にフィルム写真の色味を真似るのではなく、新しい時代にふさわしい画作りを目指した。この姿勢は後のニコンのデジタルカメラ開発における重要な指針となっていく。

もちろん、使い勝手にもこだわっている。液晶モニターの消費電力や野外での視認性を考慮して光学ファインダーを搭載し、電池は世界中どこでも入手可能な単3形を採用。液晶画面を使わず光学ファインダーを使用して撮影することで、電池の消費を抑えることもできた。こうした実用的な工夫の数々が、プロフェッショナルから一般ユーザーまでの幅広い支持を集めることとなる。

デジタルカメラ時代の幕開け

COOLPIX 900は、当時、「高画質」の基準となっていた「メガピクセル(100万画素)」を超える130万という画素数と使いやすい機能性が評価され、市場で好評を博した。続く950、990、995と、画素数や機能を向上させながらシリーズは発展。ニコンのデジタルカメラブランドCOOLPIXの基礎を築いた。

当時、写真家たちの間でデジタルカメラへの評価は大きく分かれた。ベテラン写真家からは「最後までフィルムを貫きたい」という声が上がる一方で、若手からは「私たちの時代が来た」という声も聞かれたという。フィルム代や現像代に投資して技術を磨いてきたプロフェッショナルにとって、誰もが気軽に撮影できるようになることへの戸惑いは大きかった。しかし同時に、新たな表現者が次々と生まれ、写真というメディアは大きな広がりを見せていく。

1998年、世に問われたCOOLPIX 900は、写真表現の大きな転換点を作り出した。それは、フィルムからデジタルへという単純な進化の物語ではない。撮影という行為をより自由に、より身近なものへと変えていく、新しい "まなざし" の始まりだった。四半世紀を経た今もなお、その精神は写真の未来を照らしている。

コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)

シェアする