ニコノス:「全天候」下で世界を捉える
No.6|1963|「未踏」をみる
1963年、ニコンは全天候型カメラ「ニコノス」を世に送り出しました。
現代のウェアラブルカメラやアクションカムにも通ずる耐久性とユーザビリティ。
水中を撮影する写真家にだけでなく、
南極観測など多分野で歓迎された同製品の革新的な技術と
そのインパクトをたどります。
コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)
1960年代、高度経済成長の波に乗る日本。人々の視線は、陸から海へ、そして水中の未知なる世界へと向かっていった。この新たな探究心とともに、時代は水中世界を記録する革新的なツールを求めていく。その要請に応えたのが、ニコンがリリースした全天候型カメラ、ニコノスである。
水中写真の革命児
ニコノスの誕生は、フランスの潜水具メーカー・スピロテクニーク社との技術提携に端を発する。同社が開発した水中カメラ「カリプソ」と、ニコンの光学技術を融合させることで生まれたのがニコノスIだ。
最大の特徴は、カメラ本体自体を完全防水構造としたことにある。それまでの水中撮影時の主流だった防水ハウジングに一眼レフカメラをセットする方式とは一線を画し、コンパクトで扱いやすい専用機として設計された。液体の浸入を防止するOリングによる気密構造や、水圧に耐える独特の形状など、随所に工夫が凝らされている。これらの新たな設計により、ニコノスは水中撮影の新たな地平を切り開いたのだ。
レンズにも画期的な設計が採用された。水中専用の28mm F3.5レンズは、前玉に両凹レンズを採用。これが水と組み合わさることでひとつのレンズとして機能し、水中での歪みや色収差を補正する。この巧みな設計により、水中特有の光学的問題を解決し、鮮明な撮影を可能にした。一方で35mm F2.5レンズは水陸両用として設計され、陸上でもニコノスの使用を可能とした。このような汎用性が、のちにニコノスの活躍の場を大きく広げることとなる。
進化し続ける目
ニコノスは、時代とともに改良が続けられていく。1968年のニコノスII、1975年のニコノスIIIと、モデルチェンジを重ねるごとに、操作性と耐久性が向上。とくにファインダーは、光学性能に磨きがかけられ、過酷な環境下でも正確に被写体を捉えられるようになる。さらに、新たなレンズの追加によってシステムを拡充し、撮影の可能性を広げていった。
1980年発売のニコノスIV-Aは、それまでのカリプソベースの設計から脱却し、ニコン独自の設計による完全な新型モデルだ。最大の特徴は、当時陸上のカメラで主流になりつつあった自動露出機能の搭載である。水中での適正露出の判断が難しいという課題に対して、絞り優先AEを採用することで解決を図り、より多くの人々が水中写真を楽しめるようになった。また、1984年に登場したニコノスVでは、マニュアル露出モードの追加や、TTL調光対応のスピードライト開発などを経て、本格的な水中撮影システムとしての完成度を高めた。
水中にとどまらない、未知の領域への眼差し
ニコノスの登場とその後の機能強化は、水中写真の世界に大きな変革をもたらした。それまで人間の目が届かなかった水中の姿が、鮮明な写真として世に送り出されるようになったのだ。
この変化は、単に写真愛好家の趣味の範疇を超えて、科学研究や環境保護の分野にも大きな影響を与えた。海洋生物学者たちは、ニコノスを通して研究対象の生態を解明していった。また、水中写真の普及は、一般の人々の海洋環境への関心を高めたといっても過言ではないだろう。
ニコノスの活躍は、水中だけにとどまらない。その高い防水性と堅牢性を活かし、悪天候下や水しぶきのかかる場所など、過酷な環境での撮影にも重宝された。プロ野球の優勝祝賀会で新聞社がニコノスを使用したという逸話は、その汎用性をよく物語っている。まさに、あらゆる状況で使用できる「全天候型カメラ」としての地位を確立したのだ。
さらに、ニコノスの堅牢性と耐久性、機能性の高さは、その活躍の舞台を水中から極地にまで押し広げた。日本の第7次南極地域観測隊が携行したニコノスは、極寒の地で公式観測・研究用機材として、その真価を遺憾なく発揮したという。厳しい南極の気候でも、確実に記録を残すことに成功したのである。
今見えるものの先へ
ニコノスは2001年に生産終了となったが、過酷な環境下での撮影を可能にした高い技術、そして機能を追求する姿勢は、ニコンのDNAとして今なお息づく。ニコノスで培われた防水技術や光学設計の知見は、現代のデジタルカメラの防塵・防滴機能や、極地や宇宙空間などでの使用に耐える性能にも活かされているのだ。
カメラは、単なる記録装置ではない。それは人間の視覚を拡張し、新たな世界を切り開くツールだ。ニコノスが残した「未知の環境を写す」という道は、今後も技術の可能性を追求し続ける人々によって、さらに深まっていくことだろう。
その道の先には、まだ見ぬ世界が私たちを待っている。
コンテンツ監修:『WIRED』日本版 (文: 水谷 秀人 / 写真: 加藤 純平 / 編集:矢代 真也)